自分をさらけ出す怖さや恥ずかしさ。この場合であれば無知な部分であったり、財務局の方の話についていけな理解力のなさだったりだ。また、意見を求められて、意見をまとめる力のなさなどもあらわになると思う。考えれば不安は底なし沼のごとく深まって行く。決して、自信があるわけではない。むしろない方だ。暗闇を心臓をばくばくさせながらさまよう感じだ。しかし、これもある程度考えて、結論は自分自身を取り繕っても仕方ない、あるがままで気付くことも、学ぶこともあるだろう。と、居直ってしまう。
これは腹が座るとかではなく、また、自分に自信があるとかではない。単純に、そうした痛みに対して鈍いという特性が自分にはあるからだと思う。鈍感力だ。合わせて、辛抱強いで、痛みに耐えられるのかと思う。寒さ暑さに強いというのと同じだ。つまり辛抱できるかどうか?与えられた環境に対しての許容する力の話。冷え性とか血の巡りがという体の機能の問題や育った環境の違いも影響するのだろうが、北海道で生まれたら沖縄で暮らすことができないのか?と、いう話かと思う。
意見交換会では、予期していたような不安は払拭された。自分の世界にとどまっていてはいけないなと改めて思った。その後の懇親会に、パレットのしあわせスフレを差し入れして、意見交換会では見られない皆さんの笑顔と出会った。お菓子の力ってすごいな。私は、やっぱりお菓子を通じての表現者がいいなと思った。
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