その後、パティシェになってつくづく思う、食への意地なんて生半可ものではない。明らかに、自分の中に食への執念を感じる。「どうせ食べるなら、おいしく」さらに「死ぬまでに食べられる回数は決まっているなら、一回でも多くおいしい食事をする」そんな思いをもって、日々の食事がある。祖母の作る手料理には、そんな思いがあった。
パティシェの仕事も同じような感覚で「どうせ作るなら、自己最高を作る」そうしたがつがつした思いを、パレットフィロソフィーでの「日々ベストを尽くす」の言葉につながっていく。
先日、毎月送られてくる小冊子に、フリージャーナリストの音田昌子(おんだまさこ)さん「生きる長さは人それぞれだから、「今」という時間だけが唯一公平なのかもしれない」と、書かれていた。どうせ生きるなら、生きて生きるべきだ。この「今」を…
言いたいことは同じ、食は命につながる。命がなければ、大いなる人生はない。日々の食を整える、大切にする。私のお菓子作りも、ここから始まっていると思っています。亡くなった祖母に感謝です。