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2016年1月17日日曜日

製菓コース実習レポートの添削

滋賀短期大学製菓マイスターコースの非常勤講師として、製菓理論と製菓実習を担当している。今年もようやく30回目の実習を終えようとしている。1単位=90分、2単位で一回だから、90時間(5400分)まとまると結構な時間になる。

年度最初は「今年の学生は?」と、恐る恐るのコミュニケーション。それが、30回目くらいになると、ちょっと慣れてくるのと、情がわく。なんとか、一人の社会人として、プロのパテシェールとして頑張って欲しいなと思うものだ。


毎回実習が終わって、実習レポートを出してもらい、それを添削する。再現性があるかどうか?の視点で評価します。あとは、質問に答えたり、感想が五感で感じた味わいの表現になっているかを見る。なかには食レポみたいに書く人もいるが、作った当事者の視点のない食レポは、ばかやろ〜!だ。頭で味を作っている。

五感で感じたことを、文字で表現する。できないとお菓子も作れない。インプット量に比例した表現(アウトプット)になるものだ。それが、ずっと餌を与えられ続けられたのか、感性が鈍っていて、感じることも表現することも鈍い。作り方を学ぶ以前の基礎体力不足のような話。加えて学ぶスピードがゆっくり。



そんな学生たちに合わすことができないことが、問題なのかと錯覚してしまう。社会に役に立つ人の必要条件は、時代が変わっても変わらないものだ。漢字が読めない人に、平仮名で出題するようなことはできない。漢字を読める当たり前の努力が必要と思っている。お菓子作りに、五感を働かすは必要条件だ。


2016年1月16日土曜日

この季節にたっぷりイチゴを販売する理由

先日、看板製作会社の人と打ち合わせをしながら、看板でのグッドデザインは機能性、合理性を含む、美しさが欲しいと要望した。いつもいうことだが、その中で、100年素材の考え方を説明し、写真は素材を扱ったものを大きく使いたい。

デザイナーさんは、そうじゃない。見る人にとってわからないものは意味がない。伝える側の自己満足、傲慢さにつながるとの話。社員が、ここまで意見を言ってくれるとありがたいなと、ふっと思いながら、その意見に納得した。

で、この季節限定で販売する「たっぷり苺」を、大きく扱うことを希望した。理由は、この季節の苺は、収穫されて製品に仕上げ、食べるまでの間の苺の糖度の変化が少ない。3月くらいになると気温が上がって、ちょっと当たったところが柔らかく水っぽくなる。苺は自分を守るために持っている糖分を使って、自分の命を守る。寒い季節はストレスが少ないので失う糖分が少ない。結果、糖度が高いまま食べられる。だからこの時期の苺を使うから季節限定にしている。自己満足と言われようが、目指す味わいを安定的に食べていただくための当たり前の努力と思っている。

もちろん輸入苺を使って似たようなものは作れる。しかし、この味を楽しみに「もう販売している?」と、問い合わせされるお客様に誠実に向き合いたい。一緒に今年の苺で作られるタルトを楽しみ、今年の味を共有したいと思っている。

看板のデザイン一つだが、隅々まで思いを込めたいと思っている。もちろん、全部をパーフェクトにできるはずがないので、こうした小さな話をつなぎ合わせ、多くの人に助けて頂き店は作られて行くと思っている。私の意見は全否定だったが、楽しい打ち合わせになった。感謝です。



2016年1月2日土曜日

天日で干した米の味

新聞記事に、北海道にある小さな炉端焼きのお店の女ご主人が、天日で作る干物の味は違う。天日に勝る調理器具はないとの持論。「何もかも太陽の恵みで生きていけるのさ」天日で干した米の味は違う。



記事を読みながら、10歳頃まで確かに天日で干したコメで日々ご飯を食べていた。毎朝、祖母か、母親が、釜でご飯を炊いていた。それが日常で当たり前だったので、その後機械が入って天日で干す米を食べることはなくなっても、子どもの味覚ではその違いに気づかなかった。



ガス釜で炊くようになって、お焦げがなくなって文句を言ったことはあった。天日で干す米には、庭の小さな小石がよく入っていて、それは子供心に嫌だったが仕方ないと思っていた。食べることに必死で一緒に食べる時もあった。小石は入っているもので、食べる人の自己責任だった。

干している時も、にわか雨で家族総出で干しているコメを集めた。干す前よりも湿っている米に誰も文句は言わなかった。祖父や父は、黙々と干し直していた。そんなものだと思っていた。

この新聞記事を読んで、鮮やかに小さい時の記憶が蘇ってきた。父がいつも米の炊き方や味について母に言っているのを思い出した。決して豊かな食生活だったと思わない。中学生になって野球部に入った兄が「カツ丼」を、すごく美味しそうに得意げに話していたのを覚えている。根っから食べ物に貪欲だから、話を聞いて野球部に入ろうかと真剣に考えた。



天日で干した米の味の記憶は曖昧だが、祖母の素材の味わいで作る日々の料理で「美味しいを感じる軸」が、今の自分を支えている。私は私の食べたものでできている。積み重ねてきた日々の食、一つ一つが今に繋がっていると、改めて感謝です。