記事を読みながら、10歳頃まで確かに天日で干したコメで日々ご飯を食べていた。毎朝、祖母か、母親が、釜でご飯を炊いていた。それが日常で当たり前だったので、その後機械が入って天日で干す米を食べることはなくなっても、子どもの味覚ではその違いに気づかなかった。
ガス釜で炊くようになって、お焦げがなくなって文句を言ったことはあった。天日で干す米には、庭の小さな小石がよく入っていて、それは子供心に嫌だったが仕方ないと思っていた。食べることに必死で一緒に食べる時もあった。小石は入っているもので、食べる人の自己責任だった。
干している時も、にわか雨で家族総出で干しているコメを集めた。干す前よりも湿っている米に誰も文句は言わなかった。祖父や父は、黙々と干し直していた。そんなものだと思っていた。
この新聞記事を読んで、鮮やかに小さい時の記憶が蘇ってきた。父がいつも米の炊き方や味について母に言っているのを思い出した。決して豊かな食生活だったと思わない。中学生になって野球部に入った兄が「カツ丼」を、すごく美味しそうに得意げに話していたのを覚えている。根っから食べ物に貪欲だから、話を聞いて野球部に入ろうかと真剣に考えた。
天日で干した米の味の記憶は曖昧だが、祖母の素材の味わいで作る日々の料理で「美味しいを感じる軸」が、今の自分を支えている。私は私の食べたものでできている。積み重ねてきた日々の食、一つ一つが今に繋がっていると、改めて感謝です。
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返信削除天日干しのお米、草津近鉄のレストラン街にある、モクモク風の葡萄の入口で販売されてるそうです。ただ、人気らしく新米は直ぐに完売してしまうそうです。機会がありましたらお試し下さいね!
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