先日、会社の食堂にある食器棚に以前バーベキューに使った残りのおにぎり海苔があった。賞味期限が切れてから、一年半経過している。しかし、中身は、大丈夫そうだった。食べてみて食べられるかどうかの判断は、自分でするもの。基本自己責任と思っている。理由は、自分の命や健康は、自分で守る。自信があるとかそういう問題ではない。まずは、自分の命や健康を考える時に主体的でありたいということ。その上で、国の法律で決められたルールとしての賞味期限設定があると思っている。
小さい時、明治生まれの祖母が、作ってくれた豆腐の味噌汁。豆腐が酸っぱくてびっくりしたら「大丈夫や」の一言。ふーんと思って食べたが、そんなに美味しいものではなかった。しかし身体は問題なかったので、食べようと思ったら食べられるんやなと、変な自信を持った。それ以降も、本当に賞味期限とかそういうレベルでは判断できない、自家製食品ではきわどいものを食べさせられた。
自家製の味噌、醤油、ほうじ茶、梅干し、梅酒、マムシ酒、蛇の燻製、合わせ柿、吊るし柿、かき餅、へしこなど、思い出せば、年間を通じて、たくさんの自家製自然食品を食べていた。祖母でしか作れない美味しいものもあったし、二度と食べたくないようなものもあった。おかげで、自分の身体を使って判断できるようになった。パテシェとしての味を感じる力は、祖母のおかげだと感謝している。
話はそれたが、賞味期限表示の変更の動きは、ロスを減らす意味で良いことと思うし、消費者の主体的な判断が求められ、法律がないと判断できない、表示がないと判断できない消費者を増やしてはいけないと思う。