食べログに、好意的な文章を書きますという営業は、一年ほど前から何件か来ていた。ひどいなと思っていた。今回の報道で、表面化したが、問題の本質は業者だけの話ではないと思う。
伊集院静さんが、「大人の流儀」の本の中で、知人友人につれていただいた店、自分から、ふっと入ったお店にしか行かない。気に入ればまた行く。どこの誰かわからない人に勧められた店に、行くことはない。、と、言うようなことが書かれてありました。とても素敵だと思った。自分で食べて、判断している。
食べログのシステムが悪い、そんなやらせの業者が悪いって言うのは表面的な話で、ありえるし、今後も続くと思う。食で大切なのは、リアルな世界で、自分の五感で感じ、判断できること。バーチャルな世界の情報に判断をゆだねるのではなく、情報を判断するのは、自分だということであれば、その書き込みがでたらめでも、いいんじゃないかと思う。むしろ、半分でたらめ程度に思っていてちょうどなのではないかと思う。
美味しさはいろいろだし、見た目がイヤといって食べない人は、山盛りいる。でも、そういう人を見ていて、こんなに美味しいものを食べないって言うのは、ある意味、「人生の幸せなひと時」を自ら放棄しているんじゃないかと思ったりもする。
美味しいものを食べたいという欲はあるが、美味しく食べるのは、健康な体も含め、先入観に支配されない自分の努力だと思う。ちなみに、私は、口に入れてから考えるタイプなので、びっくりするくらいひどいものを食べたことは数知れず。それでも自分の五感で食を感じたいと思う。
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