たくさん話したから伝わるものではない、長い時間一緒に仕事をしていたからわかるだろうって言う話でもない、ぼんやりこのことへの難易度の高さが心の重荷になっていた。諦めたら良いが、これだけは・・・ここはちゃんと・・・そんな事業を渡す側の我欲が出てくる。
「本を書く」はそれらもやっとすることを「言語化」する機会と捉えました。しかし、文章を書く過程で、散々打ちのめされた。思いや考えはあるが、それを言葉にできない苦闘。さらに、出版された本を読者として読んで、筆者として激しく落ち込んだ。
そんな時に「悲しみの秘儀」若松英輔さんの本で出会った文章
「読むことは書くことに勝るとも劣らない創造的な営みである。作品を書くのは書き手の役割だが、完成に近づけるのは読者の役目である。作品は作者のものではなく、書き終わった地点から書き手の手を離れていく。読み手は書き手とは異なる視座から作品を読み、何かを創造している。書き手は、自分が何を書いたか、作品の全貌を知らない。それを知るのは読み手の役割なのだ。」
ストンと心に落ちた。本を書くことにおいては明らかに力不足。けれど、この本は今の自分にとっては力を尽くした。そして、若松さんの言葉が静かに心に沁みる。「読み手たちと分かち合えたらと願っているのは、私の考えではなく、書くことの秘技である。人は誰も、避け難く訪れる暗闇の時を明るく照らし出す言葉を我が身に宿している。そして、その言葉を書くことができるのは自分自身なのだ。」「悲しみの秘儀」から抜粋
読み手の人たちが、この本をどのように読むのか、日々の生活や仕事へのフィードバックするのか、全くわからないけど、書き手の私は、書いて良かったと思っている。書かないとわからないこと「表現しようとする意図から離れた文章」が、少しわかるようになったからです。