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2016年12月16日金曜日

山形産完熟シルバーベルが届いた

完熟ラフランスを届けて頂いている伊藤農園さんに、伊藤さんの作ったラフランスで作ったパレットのお菓子をお礼に送り、そのお礼にと、まさに海老で鯛を釣るような話で、完熟のシルバーベルが送られてきた。

大玉の晩生種洋梨です。ラフランスの畑の中から突然変異で生まれたそうです。果汁がぼとぼと落ちるみずみずしいラフランスとは違って、身がしまっていて、味わいも濃厚な印象です。とても美味しいこの季節の贅沢な味わいです。

自然の作る美味しさを味わいながら、ありがたいなと思う。一生懸命作ってくれる人がいるからこの味わいをいただける。食べログの味わい評価とは無縁の世界。

味わいは、そもそも個人の主観だから、人がどう言おうがどうでも良いことなんだけど、この予算でちょっとでも美味しいものを食べたいという欲求に突き動かされているから、食べログを見てしまう。

食べることに感謝の気持ちのない文章を読むと嫌な気持ちになる。評論家のようなその自信はなんなんだろう?と、とても不思議。昨日食べた晩御飯もちゃんと思い出せない人が、一年前の味わいを正確に表現できるのか?っていう話も同じ。そこに批判や文句ははいらないな。

話を戻すと、美味しいものを食べると元気になる。ちゃんと美味しいお菓子を作るパテシェでありたい。そういう意味で普通に小さな幸せ、小さな贅沢を感じるお菓子を作っていたいと思う。


2016年12月15日木曜日

ケンコーマヨネーズの展示会に行ってきた

カフェメニュー開発でヒントになるかも?と、言う大義名分で、ケンコーマヨネーズの展示会に行ってきた。普段よく行くお菓子の材料や機械の展示会と違ってとても新鮮だった。

取引額もあまりないので、ぞんざいに扱われるのかと思っていたが、そうでもなく、どのブースでもその商品を開発した担当者が一生懸命説明と試食を進めてくれるので、全品完食。最後は、少々ムカつくくらい食べた。

一言二言コメントすると、担当者がその評価に食いついてくるので、これがまた面白い。商品開発をする上で、ピンとくるものがあるのかと思う。お互いに開発担当の人間でないとわからないことだと思う。

うまく言えないが、製品開発はずっと考えていて、一度に考えがまとまるわけではない。様々な刺激や情報、時々の空気感も加えながら形が出来て行く。説明のつかない直観を信じて突き進む感じだ。そして、そのベースには食べることが大好きと言う強力なエネルギーが湧いている。共感を、話していてふっと感じる。そして、きっとこの人の開発した製品は美味しいだろうと言う期待感に変わっていく。

どのブースもそんな製品開発者のエネルギーで満ち溢れていて、とても楽しかった。いろんな食品の製品開発の人たちとの異業種交流の場があれば、製品開発のヒントが山のように出てくるのではと思う。ケンコーマヨネーズ様に感謝の1日でした。

2016年11月6日日曜日

着色料は使いたくない。

クリスマスのパンフレットが年々豪華になっていく。消費者目線で、すごいなと感心する。そして、自分だったら、どのケーキを選ぶかなと好奇心丸出しで見ていく。


一方で、職人目線で、この工程数をこの時期にやるのはきついだろうなという目線で見てしまう。また、組み立て方などで、これ美味しいな、材料的にお得やな、などなど口にすることはないが思うことはたくさんある。

さらに、着色料などに目がいく。華やかに作っているが、この色は時間の経過で褐色に変化するだろうなと思うものがある。体に不要なものは口にしたくない。自分が食べるときに選ぶ基準で、食べたくないものだ。それと同じように、自分が作るお菓子の考え方、基準と矛盾させたくない。自分の家族に食べさせる気持ちと同じようにお菓子を作りたい。

美味しいは人によって様々だと思う。小さい時に、バターじゃないバタークリームでできたピンクのバラが美味しかった。添加物でできたお菓子が美味しかった。いま、バターでできていないバタークリームを口にしたいとは思わない。

時代が良くなったと思う。美味しいものがたくさんある。しかし、自分の命は自分で育て守るものだ。体に不要なものを口にすると細胞膜を疲弊させる。体が弱る。体が弱ると心も弱る。美味しいものは人を元気にしないといけない。シンプルに、そんな思いを持って人を元気にする美味しいお菓子を作りたいと思うのです。

2016年9月26日月曜日

職場体験前の事前学習講師での話

近くの中学校から未来を受けて職場体験学習事前での注意すべきことなどを話して欲しいとの依頼を受けて、話をさせていただいた。パワーポイントで資料を作って、準備した。


話の要点は、①ちゃんと目を見て挨拶をする。②返事をする③ありがとうを言う。の3つを気をつけて、せっかくの機会やから、いつもと違う自分を発見したら楽しいよという話。


それを職場体験学習する前に自分と約束をして、やりきること。それで得られる自己信頼感、自分との約束を守った事実が大事。それを、ハインリッヒの法則を使って説明をした。ちょっと難しい話で、ついてきてくれるか心配だったけど、みんな一生懸命聞いてくれた。


話したことの理解を進めるために、最後に全員「印象に残った一言とその理由」を発表してもらった。みんな話をしっかり聞いてくれていたようで、3人だけ発表を一旦パス。他の人はきちんと自分の言葉で話をしてくれたので、感動。素直だなと思った。


話し方で、理解の度合いが変わるので、ゆっくり大きな声で話すことを心がけた。一人の子が「よう知ってはるなと思った」と、おばちゃんのような感想を言うので笑ってしまった。率直な感想なんだと思う。せっかく学校を出て勉強する機会だから、いつもの自分とは違う自分の中から新しい可能性を見つけてくれたら嬉しいなと思いました。楽しい時間をありがとうございました。


2016年9月24日土曜日

滋賀県果樹試験場に行ってきた

滋賀県農業政策課の方から、これから滋賀県で作付けを行うイチジクの新品種での市場性についての意見を伺いたいとの依頼。イチジクを加工してケーキに仕上げるパティシェとしての狭い範囲なら、お話しすることは可能です。と、お答えし、自分たちの勉強も含め、堀川、坂口と3名で出席させていただいた。



バナーネ、カドタ、アーテナの3品種に、現在市場に最も多く出回っているいわゆるイチジク「桝井ドーフィン」という品種のイチジクを試食させていただいた。個人的には、カドタ、アーテナが味わい的に個性があって濃い味わいで、美味しかった。しかし、生産性が悪いので生産者が喜ばない、小さいので市場で売れるイチジクではないとのこと。バナーネは、この1週間の雨、曇り続きで糖度が落ちて水っぽくなったとのこと、確かに以前試食したときの印象とは違った。持ち味のねっとりした旨味は、感じたのでやはり「力」のあるイチジクなんだと思う。皮ごと食べられるので味わいの変化もある。


試験場の畑も見させていただいた。ポット栽培という栽培法で、効率よく生産できる工夫を重ねているとのこと、私たちの知らないところで様々な工夫研究がされている。品種は見たらわかるでしょ。と、笑顔で無茶をいう。素人に品種の違いって・・・・葉っぱ見たらわかる。確かにちょっと違う。



このイチジク水っぽいねというのは簡単だが、その背景に、台風があって、雨が大量に降って、高気圧と低気圧の間で天気が不安定。結実するギリギリの環境変化までは読めないと思う。あるがままを受け入れるしかない。しかし、水っぽいイチジクに対して、働く市場原理(売れない)は現実。


そんなことを思うと、今お取引をいただいているイチジク生産者の浅野さんが困ったときに、何ができるのだろう?と、考える。パティシェなので、美味しいイチジクを使いたい。しかしそれを作っている浅野さんがあってのこと。そう思うと、水っぽいイチジクを引き受け、少しアレンジして(単純に、水を飛ばす=乾燥、焼くなど)別メニューで作る努力が、おつきあいして行く上で大切なことと思う。



そんな覚悟を持っていなかったなと反省。イチジクを買う地産地消から、イチジクを作る方と共に生きる地産地消を大切にしたい。自己満足のお菓子作りではない、近江商人ではないが「三方よし」のお菓子作りが大事だと思いを新たにした滋賀県農業試験場でした。新たな学びと気づきに感謝です。

2016年9月12日月曜日

大津商工会議所 創業塾講師

大津商工会議所から、創業塾をやるので、創業の先輩として話をして欲しいとの以来。必要とされるのならという社会貢献の思いと好奇心をもって依頼を受け「持続可能な地域密着ケーキ屋の経営」と、題して話した。

「どのような仕事で創業を考えているのですか?」どの仕事も一言で理解できないニッチな仕事での創業を考えておられる。さらに質問「その分野の市場規模はどのくらいあるんですか?」「さぁ・・・」そんなやり取りで、すごいなと正直思った。市場も見えず、今日明日の「飯」の心配もなく新しい事業に集中できる。住む世界が違うのかなと思った。私には創業どころか、一歩踏み込むこともできない。立ちすくむだろう。


創業と言ってとりあえずスタートは誰にでもできる。独立開業も同じこと、店を作るくらい誰でもできる。問題は、継続させること、借入金があるなら、ちゃんと返済すること。そんな当たり前のことと思う。


そうしたことと関連してるのが、第一印象。日々の物の見方考え方の習慣が、第一印象に現れると思う。例えば、ビジネスで初対面のときに、時間に遅れてくる、TPO にあっていない服装でくる。などは、継続した取引は難しいものだ。取引のきっかけを失っている。「継続性」と「習慣」は密接に関連するからビジネスでの成功は、このポイントですでに別れる。受講生は、創業する前なんだけど、そういう視点で見ると準備不足感は感じた。と、いうか創業するための地力が鍛えられていないのかと思う。


印象だけで判断していると思われるかもしれないが、世の中での「決める」ことが、判断する人の価値観、先入観 、固定観念で決まる。固定観念の中には、哲学や理念も含まれる。言葉を交わさない「印象」で得た情報で、その人の中でほぼ80%ほど決めていると思う。さらに、それは経験学習が多い方ほど強い。

今の世の中にない事業をということでも、何をやるかは市場ニーズとマッチすれば可能性は広がる。しかし、こうした人として不変的なことは、あえて、愚直にやられる方が可能性は高くなると思う。そんなことを講師席から見ながら思ったのでした。



2016年9月4日日曜日

滋賀県果樹品評会最優秀イチジクを使ったタルトができた。

品評会で知り合ったイチジク生産者浅野さん。品評会の時は「また、うちのイチジク使ってください」という挨拶程度でした。でも、その時に最優秀が決まったのに、一言も「これ、私のところのイチジクです」って、言わなかった。というか、私が県の方との名刺交換や挨拶などで、バタバタしていたので気遣ってくれたのかと思います。


品評会の後、浅野さんに直接ご連絡を差し上げて、製品開発担当の坂口くんが現地に行って浅野さんの話を伺い、入れて頂けることになりました。早速、試作、販売までのスケジュールを立てた。試食では文句なく「うまい」で意見が一致。早々に販売することになった。


浅野さんの話では市場に出したり、近辺の 道の駅や高速道路のサービスエリアに入れてだいたい終わりです。毎朝4時から、奥さんと二人で頭にライトをつけて、熟したイチジクを選んで収穫して8時にそれぞれのところに納品するとのこと。昔は、このライトが重くて、首がダルなるくらいやったけど、今はLEDに変わって軽くなったんやと笑顔で話す。

「完熟したイチジクの見極めは何か基準でもあるんですか?」と、聞くと「経験やな」と、一言。それはぼんやり時間をかけても習得できるものではないと思う。職人の世界と同じで、言葉にならない努力の積み重ねによって「わかる人」と「わからない人」に分かれるのだと思う。

わかる人は、わからない人がわかるけど、わからない人はみんなと同じだと思っている。つまり、自分は正しいと思っているのかと思う。表面的で薄っぺらいのだが、固定観念、自己イメージは、自分で作って行くのでなかなか変わらない。気づかないのだと思う。自分はできると思っている?


どの世界にも、プロの仕事をする人の話には奥行きがあり、本質がある。そして魅力的な人が多い。そんな浅野さんに、出来上がったケーキを持ってまた会いに行こうと思う。絶対食べていただきたい。そんな人と人のつながりを大事にする菓子職人でありたいのです



2016年8月22日月曜日

滋賀県果樹品評会に行ってきた

滋賀県農政水産部からの依頼を受けて滋賀県果樹品評会審査に行ってきました。初めての経験でしたが、洋菓子コンテストでの試食審査の苦痛に比べるとまだ果物は楽だと思いました。全品試食し、これと印象残ったものは二回試食をしました。

審査は、官能で見る食味だけではなく、糖度(糖度計で測る数値)、箱に入った荷姿外観、色形など果皮色などを見るのですが、外観が悪いと売れないということで流通されない果物になってしまうようです。

審査した印象です。単純に糖度が高いからうまいのかというとそうでもない。糖度だけではない、長く残る旨味があるか?を、私なりの審査基準として、審査しました。説明があっているかどうかはわからないのですが、私なりには、果物の持つ繊維質の味わい、噛むことで出てくる旨味と思っています。ぶどう、イチジクでは皮ごと食べてもうまいと感じるものを選びました。ぶどうは皮を除いた味も確認しました。

食べながら、その違いを果物に教えられている感じがしました。出品されてくるものなので、どれもが美味しく力がある。その上で、私が感じる旨味が強いものと弱いもの。良い悪いではなく強い弱いという感じです。心が満たされていく感じです。

祖母が、畑仕事が好きでその手伝いを小さいときからしていた。今年のサツマイモの出来は良い。と、床下にしまうときに満面の笑顔で話す祖母の顔が記憶に残っている。なぜかその時に村田英雄の王将を歌っていた。祖母が審査員だったら、どういう審査をするんだろうと訳わからぬことを思いながら楽しい時間を過ごしました。とても勉強になった半日でした。こうした機会をくださった県の担当者に感謝です。

2016年8月13日土曜日

ゴルフは理不尽だから面白い

銀行から頂いた小雑誌に掲載されていた。大矢映子さんのコラムのタイトル「ゴルフは理不尽だからおもしろい」に、納得した。わたしも体が動かすのが好きで、休みは、何か体を動かすことを好んで遊んでいる。家でじっと本を読む休みの過ごし方も好きだが、どっちかといえば、体を動かすほうが好きだ。冬はあきもせずスノーボード、年中通じては、ゴルフだ。

練習すればうまくなるものでもないとこの頃思うようになった。それは、練習などの努力とは全く無縁な「理不尽」なことに出会うからだ。加えて、不公平さや、不運も重なってくる。そうなると、人間性があらわになって、慌てふためくことで、さらなる理不尽、不公平、不運が重なる。まさに人生修養だ。

努力をして、練習を重ねれば、誰でもが成功者になれる。日本中の子供達にだから頑張れと言っているこの時代に、このゴルフの理不尽さは、多大な教育的効果があると思う。どうにもならんことに出会うことがあるのだ。どうにもならんことを、あるがままに受け入れ淡々とカップインを目指す。本当に人が生きるってこういうことやなと思う。


「頑張ればなんとかなる」という楽観的なその場しのぎの教育よりも、あるがままを受け入れながら、自立し正々堂々と生きる覚悟をもたせる教育が大事だと思う。ゴルフをしながらいつも感じる自分の未熟さをも愛する自分を感じると、一打一打が楽しくなる。上手下手ではないのだと思う。楽しむことが継続につながり、理不尽や不公平や不運に出会うことのないゴルフができる時もあるのだ。その上で、理不尽も楽しむゴルフがおもしろいのだ。

2016年7月31日日曜日

マスコヴァド糖とバランゴンバナナを使った焼き菓子

業者さんから、こんな黒砂糖ありますよと言われて味を見たら、とても優しく広がる甘みと香り、ミネラル分が多いから柔らかい味わいになるんだろうなという印象。この味わいを生かした焼き菓子をイメージする。


バナナと合わせてザクッと食べられるナチュラルな味わいの焼き菓子。そんなイメージでこの黒砂糖のことを調べていると、「いのち・暮らし・自然を守る」ことをテーマに、生産者と消費者、南と北の共生をめざす日本の人びとの出会いから生まれた『バランゴンバナナ』。このバナナを味わうことは、フィリピンの生産者たちの暮らしを応援し、共生の地球環境づくりへとつながっています。と、紹介されるバナナがあることを知り早速オーダー。

濃厚な甘さ、とてもしっとりとし、繊維質を強く感じる。香りが長い。このバナナの持つ力強い味は、無理のない栽培環境から作られるのかと思う。無農薬栽培のバナナにこだわるのではなく、どこまでも素材を活かす考え方。同じフィリピンという産地で作る味わいは相性も良いはずだ。

チョコレートを散らして、しっかり焼き上げる。素朴で力強い「その日の焼きバナナブレッド」 の完成を目指す。試作を重ねて、もう一歩のところまできた。ゼリーが売れる店を見ながらの試作は、少々きついものです。

2016年7月24日日曜日

あなたのために いのちを支えるスープ

草津エイスクエアのカフェで出す新メニューに手作りのスープを出したいなと思って、アレヤコレヤと研究。辰巳芳子さんの本に感動した。

本は、随分前にテレビで紹介されたときに買ってちょっとだけ読んで本棚においていた。今回の機会で改めて読み直して、その内容に腰が抜けた。正座して読まなあかん本やん・・・・。
さらに、表紙の絵の説明
2000年6月、ベルリンバウハウス美術館でこの作品と共感を分かち合った喜びの日を私は忘れ得ない。作者はリートヴィヒ・ヒルシュフェルトマックという。
もう長いこと、料理は図式化できると考えていた。特にスープはすでにピッタリ図式化できていた。
色は食材、並列は技法。それらのおのずからなる融合の美は、味というものの行き着くところと結びついた。自分の頭の中にあることどもを色と形で提示されたことは、まったき理解者との巡り会い、手に手をとった喜びに等しかった。表紙の表現に、この絵を持ちいえたことは、望外の満足である。バウハウス美術館と作者のご遺族が快く作品使用許可を与えてくださり、感謝の他ない。
辰巳芳子著  「あなたのために」から



その日の食材と自分の感性の赴くままに、絵を書くようにお菓子を作りたいと思った。そしてパレットいう店名になった。伏線は、オープン準備をしているときに、たまたま機会があって故東山魁夷さんの「絵になる時」と、いう講演を聞く機会があった。心が動く時が絵になる時という話と記憶している。この時の感動した思いと、オープンでの店名を考える時、そして自分が絵が好きだったという様々が結びついたと思う。

辰巳さんの思いや考えで作られるスープの本なのだが、その中は哲学書だと思った。効率は経営には求められる。既製品でいいじゃないですかというスタッフの声も理解できる。本の中をそのまま再現するには力不足だ。

それでも、そこを目指して、ちょっとでも近づけたいと思う。100年素材の考え方からの食材選び、時間をかけた技法。心と体に良いものを出して行きたい。そのためには、作り手の心づくし、心を深く使って作ることが大切だということを辰巳さんは本の中に書いておられた。本当にいい本だ。感謝です。

2016年6月13日月曜日

パレット新作ケーキコンテスト開催

パレットでは毎年二回(冬春、夏秋)みんなで作る製品開発 に取り組んでいる。これは、新入社員も、熟練パテシェもみんな横一列にならんでヨーイドンで製品開発をする企画です。

書類審査から、試作実食社内コンテストで上位6品を選び、お客様実食コンテストを経て上位3品を販売していく。4ヶ月くらいの期間をかけて製品化していく取り組みです。今年も200名弱のお客様の参加をいただいて3品が決定されました。

このイベントをやり始めた頃には、試食コンテストの意味がご理解いただけずに「水だけで試食とはどういうこと?」「飲み物が出てくるのが遅い」などのお叱りが書かれてあったが、会を重ねることで、お客様に書いていただく内容が変わってきました。

「大好きだから真剣に食べて考えていたら、一時間では足りませんでした」
「自分で買う時には、同じようなものを選ぶが、こういうときはいろいろ試食できてよかった」
「いろんな種類のケーキが食べられる魅力に誘われたのが正直な理由です」
素直な感想を頂いて、パレットはこうしたお客様に支えられていると改めて感謝です。

「嫁一人で行こうとしていたので、自分も行きたくなって参加しました」
「嫁さんから強引に誘われて良かった」
ご夫婦の参加は以前に比べると増えたなという印象です。夫婦でこうした時間を楽しんでいただけていると思うとそれはそれで嬉しいものです。

「パテシェさんの努力が見えて、それに協力したい気持ちになった」
このコメントをいただいた方は評価もわかりやすくとても参考になりました。自分でもお作りになるのかなと読みながら思いました。いずれにせよ、自己満足のお菓子作りを個性と勘違いしている時代の中で「今、求められる味わいを作る」というパテシェとしてのミッションを再確認する機会になる。

自分のお菓子を作りたい。自分の店を持ちたい。そうした個人的な動機はそれで良いのだ。プロのパテシェとして、誰のために作るのかが見えていないと成長する方向を見失う。今後も、社員、お客様、業者様で作る三方良しの製品開発の機会として、もっと面白く楽しく続けていけたらと思います。




2016年1月17日日曜日

製菓コース実習レポートの添削

滋賀短期大学製菓マイスターコースの非常勤講師として、製菓理論と製菓実習を担当している。今年もようやく30回目の実習を終えようとしている。1単位=90分、2単位で一回だから、90時間(5400分)まとまると結構な時間になる。

年度最初は「今年の学生は?」と、恐る恐るのコミュニケーション。それが、30回目くらいになると、ちょっと慣れてくるのと、情がわく。なんとか、一人の社会人として、プロのパテシェールとして頑張って欲しいなと思うものだ。


毎回実習が終わって、実習レポートを出してもらい、それを添削する。再現性があるかどうか?の視点で評価します。あとは、質問に答えたり、感想が五感で感じた味わいの表現になっているかを見る。なかには食レポみたいに書く人もいるが、作った当事者の視点のない食レポは、ばかやろ〜!だ。頭で味を作っている。

五感で感じたことを、文字で表現する。できないとお菓子も作れない。インプット量に比例した表現(アウトプット)になるものだ。それが、ずっと餌を与えられ続けられたのか、感性が鈍っていて、感じることも表現することも鈍い。作り方を学ぶ以前の基礎体力不足のような話。加えて学ぶスピードがゆっくり。



そんな学生たちに合わすことができないことが、問題なのかと錯覚してしまう。社会に役に立つ人の必要条件は、時代が変わっても変わらないものだ。漢字が読めない人に、平仮名で出題するようなことはできない。漢字を読める当たり前の努力が必要と思っている。お菓子作りに、五感を働かすは必要条件だ。


2016年1月16日土曜日

この季節にたっぷりイチゴを販売する理由

先日、看板製作会社の人と打ち合わせをしながら、看板でのグッドデザインは機能性、合理性を含む、美しさが欲しいと要望した。いつもいうことだが、その中で、100年素材の考え方を説明し、写真は素材を扱ったものを大きく使いたい。

デザイナーさんは、そうじゃない。見る人にとってわからないものは意味がない。伝える側の自己満足、傲慢さにつながるとの話。社員が、ここまで意見を言ってくれるとありがたいなと、ふっと思いながら、その意見に納得した。

で、この季節限定で販売する「たっぷり苺」を、大きく扱うことを希望した。理由は、この季節の苺は、収穫されて製品に仕上げ、食べるまでの間の苺の糖度の変化が少ない。3月くらいになると気温が上がって、ちょっと当たったところが柔らかく水っぽくなる。苺は自分を守るために持っている糖分を使って、自分の命を守る。寒い季節はストレスが少ないので失う糖分が少ない。結果、糖度が高いまま食べられる。だからこの時期の苺を使うから季節限定にしている。自己満足と言われようが、目指す味わいを安定的に食べていただくための当たり前の努力と思っている。

もちろん輸入苺を使って似たようなものは作れる。しかし、この味を楽しみに「もう販売している?」と、問い合わせされるお客様に誠実に向き合いたい。一緒に今年の苺で作られるタルトを楽しみ、今年の味を共有したいと思っている。

看板のデザイン一つだが、隅々まで思いを込めたいと思っている。もちろん、全部をパーフェクトにできるはずがないので、こうした小さな話をつなぎ合わせ、多くの人に助けて頂き店は作られて行くと思っている。私の意見は全否定だったが、楽しい打ち合わせになった。感謝です。



2016年1月2日土曜日

天日で干した米の味

新聞記事に、北海道にある小さな炉端焼きのお店の女ご主人が、天日で作る干物の味は違う。天日に勝る調理器具はないとの持論。「何もかも太陽の恵みで生きていけるのさ」天日で干した米の味は違う。



記事を読みながら、10歳頃まで確かに天日で干したコメで日々ご飯を食べていた。毎朝、祖母か、母親が、釜でご飯を炊いていた。それが日常で当たり前だったので、その後機械が入って天日で干す米を食べることはなくなっても、子どもの味覚ではその違いに気づかなかった。



ガス釜で炊くようになって、お焦げがなくなって文句を言ったことはあった。天日で干す米には、庭の小さな小石がよく入っていて、それは子供心に嫌だったが仕方ないと思っていた。食べることに必死で一緒に食べる時もあった。小石は入っているもので、食べる人の自己責任だった。

干している時も、にわか雨で家族総出で干しているコメを集めた。干す前よりも湿っている米に誰も文句は言わなかった。祖父や父は、黙々と干し直していた。そんなものだと思っていた。

この新聞記事を読んで、鮮やかに小さい時の記憶が蘇ってきた。父がいつも米の炊き方や味について母に言っているのを思い出した。決して豊かな食生活だったと思わない。中学生になって野球部に入った兄が「カツ丼」を、すごく美味しそうに得意げに話していたのを覚えている。根っから食べ物に貪欲だから、話を聞いて野球部に入ろうかと真剣に考えた。



天日で干した米の味の記憶は曖昧だが、祖母の素材の味わいで作る日々の料理で「美味しいを感じる軸」が、今の自分を支えている。私は私の食べたものでできている。積み重ねてきた日々の食、一つ一つが今に繋がっていると、改めて感謝です。